⭐️KAYOの観劇日記1⭐️
【 カム・フロム・アウェイ 】
「だって、君も同じことをしただろう?」
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件発生。急遽アメリカの空港は全て閉鎖され、行き場を失った38機の飛行機と7000人の乗客・乗員+19匹の動物たちが、カナダの東の端ニューファンドランド島のガンダー空港に降り立った。
人口9000人の小さな町が一夜にして倍になり、事情を何も知らされずに困惑し苛立つ乗客たちを、ガンダーの人々は覚悟を決めて受け入れる。
この町で起きた5日間の物語は、全て綿密な取材によって確認された真実の物語であり、それをまさに革新的と言える手法でミュージカル化され、人種・国籍・宗教の壁を超えて、あらゆる人々に希望を降り注ぐ奇跡の舞台となった。
舞台はどこかの海辺を思わせるようなセットで、両脇に木が10本くらいとテーブルが2台と椅子が12脚だけ。12人の出演者が100人近くの役を次々と演じ分ける100分間。一番多くて13人の役を、ほぼ出ずっぱりでジャケットや帽子やメガネ等の小物を使うだけで演じ分ける。
出演者は、安蘭けい、石川禅、浦井健治、加藤和樹、咲妃みゆ、シルビア・グラブ。田代万里生、橋本さとし、濱田めぐみ、森公美子、柚希礼音、吉原光夫。
いずれもミュージカル界を背負って立つトップランナーたちで、それぞれが主演を張れる経歴の持ち主たちだ。
私は最初この作品の広告を見た時に「ホリプロも賭けに出たな」と正直思った。コロナ禍で打撃を受けたエンタメ界に活気を取り戻すために、敢えてスターを集めて話題を作り客を呼ぼうとしていると。それぞれのFCだけでも相当数ははけるだろうし、これだけのスターを集めれば相乗作用も働く。なのでそれなりの強気の値段設定でもイケルと踏んだのだろうと。
観終わって自分の思い違いが恥ずかしくなった。確かに話題性は狙っただろうが、それだけではなかった。
この作品はなまじっかの経験では歯が立たない。この作品に必要なキャスト達が、選ばれるべくして選ばれたのだとやっと納得をした。
顔合わせから初日まで半年という長期スパンでのお稽古にもビックリしたが、殆どを歌で繋ぐ形式でソロは2曲、デュエットは1曲だけで、あとは全て全員でのハーモニーで繋いでゆく。それぞれ短いソロはあるのだが細切れに数小節だけを歌い継ぐ。しかもパートは複数に別れていて皆が同じ旋律を歌わない。その上途中で誰かが入ったり抜けたり、なんとも複雑すぎるスコアだ。
12脚の椅子を動かして、飛行機やバスの座席になったり,ラウンジになったりパーティ開場になったり、様々なシチュエーションを作る。
椅子は全てナンバリングされていて、この場面では誰が何番の椅子をどこに運ぶか、全てが導線を考えた上であらかじめ決められている。
全部で41シーンあるそうだが、全員ほぼ舞台上にいてメインになったりアンサンブルになったりしながら、その時の役で動きながら歌ったり踊ったりセリフを言いながら繋いでゆく。
まるでバスケの試合のように歌も芝居もパスパスパスで、流れるようにストーリーは進むのだが、今自分が何の役で、誰にパスを出すのか、相手が何の役でどこにいるのかを把握していないと繋がらない。つまり100分間、自分だけでなく12人全員の動きを把握していないとこの作品は成立しないのだ。
一人が椅子の置き場所を間違えたり、セリフや歌のタイミングを間違えたりするだけで、芝居そのものが崩れてしまう可能性だってありうる。
全ての段取りを覚えるだけで3か月、いやはや大変なプロセスだったと思う。
実際にお稽古場は大変で、「今私は誰~!!」とモリクミさんがよく叫んでいたらしいが(笑)様々なハプニングが起きても、皆で笑い飛ばして助け合いながら前へ進んで来たとのこと。その団結力が劇中のガンダーの人々の結束力に投影されて、相乗効果を産んだ事は間違いない。
それもこれも彼らがほぼ同じ立場で、これまで数多の現場で修羅場を潜り抜けて来たプロとしての経験があったからこそだ。
実際本番が始まっても些細なミスはあったみたいだが、それを上手くカバーして穴にならずに済んだのは、彼らだから出来た技だ。
めぐさんが「もはやカンパニーではなくファミリーだ」と言っていたが、まさにそうなんだろう。本番含めて9か月間も一緒にいて、類稀なる団結力でこの作品を創り上げたのだから。
大千秋楽の後は、共に走りきった充実感とは別に、別れはとても寂しいことだろう。
あらためて考えると、これだけのスター軍団で、衣装も普段着で男性陣はほとんどメイクもせず、今流行の大がかりなセットも特殊技術もなく、生身のマンパワーだけで全ての事をやってのけた作品なんて、これが最初で最後なんじゃないだろうか、そういう意味でも日本ミュージカル界において、まさに歴史的瞬間を我々は共有できたのかもしれない。
この作品を作ってくれたブロードウェイの製作陣と英断をしたホリプロと参加してくれたスタッフ・キャスト全員にお礼を言いたい。
私は100分間、彼らと共に生きて至福を味わいました。ありがとうございます。
話を作品の内容に移そう。9.11のテロでアメリカ上空は全て閉鎖され、行き場を失った250機の航空機をカナダ政府が全て受け入れ、そのうちの38機、乗客乗員合わせた7000人を、カナダの東の端ニュ-ファンドランド島ガンダー空港で受け入れる事になる。
町長のクロード(橋本さとし)は非常事態宣言を出し、在郷軍人会のビューラ(柚希礼音)を中心に思いつく限りの必需品の手配をする。警察官のオズ(吉原光夫)は町中を走り周り支援物質を集め、動物愛護協会のボニー(シルビア・グラブ)は乗っている動物たちの救うべく奮闘し、着任したばかりの新人記者のジャニス(咲妃みゆ)は懸命に状況を発信する。
7000人分の食事、寝る場所の確保、着替えの用意、ベビーのおむつから生理用品、英語以外の通訳者探し。一夜にして倍の人口になったガンダーの町の人々は、ほぼ徹夜で対応にあたる。
何が起きたかも知らされず、いきなりカナダの端っこの島に連れてこられた乗客たちは不安と戸惑いを隠せない。アメリカ初の女性機長ビバリー(濱田めぐみ)ニューヨークの消防士の息子を心配するハンナ(森公美子)環境エネルギー会社社長のケビンT(浦井健治)とその秘書であり恋人のケビンJ(田代万里生)イギリスの商社マンのニック(石川禅)とテキサス生まれのダイアン(安蘭けい)そして他人を信用できないニューヨーカーの青年ボブ(加藤和樹)
それぞれの役についてはとても書ききれないので割愛するが、乗客たちと町の人を場面が変わる度に役者は瞬時に入れ替わる。メガネだのジャケットだの帽子だの小道具も使うが、基本はセリフや動きや姿勢で別人になる。
英語圏だと、アメリカ英語とイギリス英語は明らかに発音が違うようだし、ニューファンドランド島はイギリス北部やアイルランド系の移民が多かったようなので、独特の訛りがあるらしい。
だが日本語だとそうはいかない。一部方言もどきはあったが、基本は標準語で言葉の質感で使い分ける。楽曲は尺が決められていて秒で動きが決まっているし、同じ意味を日本語で入れ込むとどうしても字余りになってしまう。翻訳や訳詞の方のご苦労もさぞやと思ったが、演じる役者さんたちはほぼパーフェクトで、早口になるところもあったが口跡良くどなたのセリフも明瞭だった。やはりプロフェッショナルな仕事の流儀、お見事でした。
演じ分けが一番わかりやすかったのが万里生っちで、空港職員のドワイトはやさぐれたダミ声で、ケビンJは都会的で、エジプト人のアリは胸を張ってまるでマジンガーZのようにガニ股で歩く(笑)このアリはイスラム教徒なので、周囲からの白い目に晒され身体検査でも辛い目にあう。
万里生っちは何の役でもいつも掘り下げて演じるのだが、アリの苦悩はとても深刻なものなのに意外とあっさりと演じていて、どうやら芝居をするなと言われていたもよう。なるほど、この作品は個々の問題は点描にすぎず、どこかが濃くなったら作品としてのバランスを崩しかねない。
健ちゃんなどは瞬間人格移動などお手の物で、さとしさんは3人の町長を1秒で入れ替えるという一発芸も見せてくれる。(笑)常日頃からさとしさんの演劇センスには感心しているが、この人のコメディセンスと間の取り方表現力の多彩さは余人を受けつけない。型の芝居が上手いのは新感線出身者の強みなのかな。
乗客が落ち着きを取り戻したら、ガンダーの町の人々は次々と自宅に招待してシャワーを貸してお茶の接待をしたり、体育館?でのウエルカムパーティも催し、このカムフロムアウェイズ達と交流することに尽力する。彼らの不安を取り除き、少しでもリラックスして過ごして貰えるように、抜群の指導力を発揮するビューラとクロードの元、島民全てが一致団結して笑顔で事に当たる。
毎日の食事だけでも7000人分を朝昼晩5日間、気の遠くなるような重労働だ。宗教が違えば内容も変わるし、アレルギーの問題だってある。それぞれの宗教によるお祈りの場所も確保しなければならない。アフリカの人々とはどうしても言葉が通じなかったが、持っていた聖書で会話が出来ることを発見して意思が通じ合う。(聖書はどんな原語でも全世界で全て共通の内容です)
ボブは他人が信用出来ず、親切なもてなしを受けても自分の財布が盗まれない事ばかりを気にしていたが、バーベキュー用の鉄板が足らず盗みに入った時に家人に発見され、怒鳴られると思ったら「どうぞ持って行ってくれ」と笑顔で言われる。ボブがどんな人生を送ってきたのかは定かではないが、この一件で彼の中で凍っていた何かが昇華してゆく。
かずっきーは終幕ケビンTの新しい恋人ロビンとして(ケビンJとは見解の相違で別れる)ほんの一瞬現れ発するその一言で全部持っていってしまう。ある意味で一番美味しい役だったかもしれない。(笑)
音楽は独特の響きがあり、ニューファンドランド特有の楽器を使いケルトっぽい哀愁のある楽曲が多い、どの曲も耳馴染みの良い曲ばかりで、印象的なのは最初とフィナーレに歌われる「Welcome to The Rock」だ。最初はガンダーを説明する状況説明の歌だったが、エンディングのこの歌は、高らかに響く人間賛歌に聞こえた。
演奏者は基本舞台サイドで演奏しているが、パーティの時とかは役者に混じって舞台上に出ているし、フィナーレでは短時間だが彼らだけのコンサートもある。しかもその時の彼らは超絶嬉しそうなのだ。
ミュージカルとしては珍しく拍手するタイミングも無く、ミュージカルに付き物の歌い上げ系のソロナンバーはめぐさん演じるビバリーの「私と空」しかない。だがこれが私的には直球ストレートでノックアウト楽曲だった。
女の子なのに一途にパイロットに憧れ、性差別の中負けずに頑張ってアメリカンエアライン初の女性パイロットになった。私の居場所はコクピットで目の前には果てしない大空があるだけ。気が付けば上級指導官になって男性の後輩達を指導する立場になっていたのに、一本の通信でテロが起きた事を知り、私は今ここにいる。何よりのショックは愛する飛行機が爆弾として使われたこと。。
2001年のあの日、私は夜のニュースショーを観ていたのだが、突然画面が変わりニューヨークの高層ビルに飛行機が突っ込んた情景が映った。まるで映画のワンシーンのようで何が起きたか理解できず、ボーっと観ていたらツインタワーのもう片方のビルにも飛行機が突っ込んで炎上した。
そこではじめてこれは事故ではなく人為的なテロなんだと気が付いた。それから二つのビルが倒壊するまで食い入るように画面を見つめていた。
この2機とペンタゴンに突入した機と、乗客に阻まれてペンシルバニアの平原に墜落した機と合計4機での自爆型のテロで、実行犯19名を含む乗客乗員全員が死亡。ワールドトレードセンタービルの突入炎上した上階にいた全員と逃げ遅れて建物の倒壊で巻き込まれた人々、助けに入った消防士343人と警官72名、ペンタゴンの職員125名を合わせて死者総数2996名。負傷者25000人以上の大惨事になった。その後の復興作業に携わった警察関係者や作業員、清掃員たちも瓦礫から発する有毒ガスを吸い込み、癌や鬱やPTSDで今も1万人以上が後遺症に苦しんだり死亡したりしている。
被害を受けた一人一人にドラマがあり、その人に繋がる家族たちの苦しみは果てしなく大きく、その後に起きたアフガン戦争も含めて世界中に多大な影響を与えた。
物語的には、乗客の一人モリクミさん演じるハンナの優しい息子も消防士として殉職している。色々ごちゃまぜにして申し訳ないが、昨年末に観た「ジョン&ジェン」も、弟ジョンはこのアフガン戦争に志願して19歳で戦死。姉のジェンは弟を見捨てた後悔と自責の念で長い間その幻影を引き摺る事になる。
あの事件から確実に世界は変わり、アメリカは実行組織アルカイダへの報復でアフガン戦争を起こし10年後に首謀者オサマ・ビン・ラディンは殺害された。その後イスラエルとその支援国アメリカ対イスラム諸国の対立はより鮮明になり、現在のガザの悲劇にも繋がっている。
ビン・ラディンとその首脳部がこの計画を実行するのには実に5年の年月をかけている。まだ20代前半の若者たちを、アメリカの民間のパイロット養成学校に入学させて飛行技術を学ばせ、犯行当日も同時刻にアメリカ国内発着の、操縦に互換性のあるボーイング社の、しかもより被害を大きくさせるために燃料の多い大型機を狙った。実行犯たちはこの日の為に、謂わば自分の名誉ある死を見つめて、アメリカ国内に何くわぬ顔で潜伏していた。
日本の特攻隊と似ているようで違う。同じように洗脳されていたのは事実だが、彼らには父や祖父の時代からの虐げられて来た恨みがあった。負の感情は輪廻して受け継がれてしまう。
私は怖い。現在のガザはほぼジェノサイドだ。生まれた土地を追われ町も家も破壊され幼い子供まで殺された人々の中から、第2のビン・ラディンが現れてもおかしくはない。
話がちょっと逸れてしまいました。私の悪い癖です。
ググっと旋回して、ガンダーに戻ります。(笑)
地図を見てわかる通り、ニューファンドランドは最果ての地だ。そこに暮らす人々は、厳しい自然の中で、互いに助け合わないと生きてこれなかった。そんな地域性もあるのだが、彼らがカムフロムアウェイズに示した献身と友愛は、現代のおとぎ話、まるで竜宮城だ。
乗客たちはお礼をしようと金品を差し出したが、彼らは一切受け取らなかった。
そして言うのだ。
「だって、君も同じことをしただろう?」
劇中2回繰り返されたこの言葉は、明らかに作者からの我々観客へのメッセージだ。これをそれぞれの観客がどう受け止めるか。
私は同じことが出来るかどうかはわからない。でも一つ確かなことは、自分があの場にいたら、間違いなくボニーの手伝いをして動物たちの面倒をみていただろう。(笑)
余談になるが、その後全世界からガンダーの町に送られた寄付金、贈り物、感謝の手紙は膨大な数に上ったらしい。(金額は忘れた)
悪意は伝染し易い。でも善意だって確実に人を動かすのだ。大きな負の連鎖は止められなくても、小さな誠意の連鎖で少しでも食い止められるのではないか。
この作品はそんな希望を与えてくれた。
我々がこの作品を観て感激して他の人に伝えることも、小さな正の連鎖になるのではないか。少なくともそう信じて私はこの無駄に長いレポ―トを書いている。
また話が脱線して申し訳ないが、3月にこの舞台を観た同じ頃、民放のTVで「不適切にも程がある」とうドラマをやっていて、カッキーが出演するという情報で見始めたのだが、これが時々ミュージカル仕立てになっていてなかなか面白くて、最後はどうまとめるのかと期待していたら、皆で「寛容~寛容~」と歌って踊ってお終いだった。
バカバカしくて笑えたが、そうなのだ。大切なのはこの寛容なのだ。ガンダーの人々が大切に育んでいたものは、赤の他人の人々を家族のように受け入れる寛容さだった。
「寛容」このたった2文字が内包するものは、なんと深い真実だろう。
神ならぬ我が身なれば、あまたの不条理に腹の立つことも多々あるけれど、心の壁にこの2文字を書いて、残り少ない人生を明るく生きていけたら本望です。
メッチャ長くなりました。最後まで読んで下さって本当にありがとうございました。感謝のKissを💋(いらんか)