【 天保十二年のシェイクスピア 】
4年前の東京公演がコロナのせいで千秋楽が打ち切りになり、その後の地方も中止になってしまった無念の公演でもあり、今回の再演の知らせはこの作品のファンにとっては大きな喜びだっただろう。
私と言えば、レミゼの為に空けておいた日が涙々の落選パレードでどうしてもチケットが手に入らず、仕方がないので手を伸ばした公演であることをここに白状しておこう。
聖なるクリスマスにこのような舞台(失礼)にうつつを抜かしていた私を、神よどうか赦したまえ。w
実は4年前の公演も観ているのだが、昨夜の夕飯のメニューも覚えていないこの脳粗鬆症の私にはあまり明確な記憶がなく、感想も書いた覚えがない。
なのでそれほど私的にインパクトがある作品ではなかったのかも知れない。
でも今回は違った。めっちゃ面白かった!
なぜ面白かったのかを分析したいのだが今回はうまく語れないかも。だって私の頭も大概だが、この舞台も理屈もへったくれもない規格外の作品だったから。(笑)
幕前、木場勝巳さんの口上から始まる。コロナを乗り越えて再びこの舞台の幕が開く喜びが、その達者な口ぶりと晴れやかな笑顔からビンビンと伝わってくる。一気に幕が上がると3階建てのセットにびっしり蔓延るようにキャスト達が勢ぞろい。
ここで歌われる「もしもシェイクスピアがいなかったら」の歌が秀逸。まんず歌詞になりそうもない文章を癖になりそうな旋律で全員で歌い上げる。
もうのっけから盛り上がる客席。ワクワクの高揚感で私のお尻は10㎝ほど浮き上がる…わけないか。(笑)
江戸末期の天保年間、下総の国清滝村で起こるあんな事こんな事がシェイクスピアのストーリーを絡めながら、宝井馬琴が書いた任侠講談「天保水滸伝」の物語に沿って繰り広げられる。シェイクスピアの全37作品を取り入れられたその脚本の呆れるばかりの巧みさ、さすがとしか言いようがない。
井上ひさしの作品は、後期の人物評伝劇みたいなメッセージ性のある作品しかご縁がなかったので、今回のコレは一種のカルチャーショックだった。前期はどうやら悪を主人公にした作品が多いらしくて、この作品も佐渡の三世次という極めて醜く賢い悪党が主人公になっている。
物語はこの清滝村の2軒の旅籠を取り仕切る鰤の十兵衛が、老境に至った自分の後継者を決めるにあたり、3人の娘に自分への孝行を問う。腹黒い長女お文と次女お里は美辞麗句を並び立てるが、真に父親を慕っている三女お光はおべっかが使えず勘当の身となる。つまり「リア王」から始まり、長女の家では「ハムレット」が進行し、次女の家では「マクベス」から「オセロー」になったりする。
あらすじなんて書きようがないけど、この両家の争いに乗じて清滝村を手に入れようと企む三世次(リチャード3世)と、親の仇を打とうとする長女の息子のきじるしの王次(ハムレット)そして十兵衛の3女のお光(コーデリア)がこの物語の核になっている。お光にはそっくりの双子の妹お幸がいて「間違いの喜劇」これがこの物語では更なる悲劇に繋がってゆく。
井上ひさしの遊び心は役名にも溢れていて、鰤の十兵衛は鰤と十でブリテン(リアはブリテン王)長女の夫はよだれ牛の紋太で紋太牛(モンタギュー)、その弟は蝮の九郎治(クローディアス)、次女の夫は花平(キャピラ…キャピュレット?)次女の情夫尾瀬の幕兵衛はマクベスで、ハムレットの許嫁はお冬(オフェーリア)で、その父はぼろ安(ボローニアス)。
私はあまりシェイクスピアに詳しくないのでわかるのはそのくらいだが、名前だけでなく有名な台詞があちこちに散らばっていてそれも楽しい。
全部で37作品、どこにどう散らばっているのかわかる人は余程のシェークスピアヲタクに違いない。因みにベニスの商人はバッサリ切られる時に「バッサーニオ!」と叫んだだけらしいが。(笑)
役者について簡単に。
まず主演佐渡の三世次に浦井健治(敬称略)。前回は王次だったが今回は堂々の主演。顔半分が焼けただれ足を引きずるせむしの醜男で、まるで外見は和製カジモド(中身は正反対)。不幸な生い立ちからか世の中を強烈に呪っていて、言葉を使って人を陥れて上りつめようと企む。
健ちゃんの三世次は前回の一生くんの三世次を基本的には踏襲しているらしいが、やはりどこか違う。この人には得も言われぬオーラがあって、一生くんの悪が陰そのものとしたら健ちゃんには悪の陽のエネルギーがある。人柄からくるこちら側の勝手なイメージかもしれないけど。w
シェイクスピア劇には何度も出演して賞も取っていたりするので微塵も不安はなかったが、完璧な台詞術といい役の造形と言い、文句は一言もない。
お光とお幸の正反対の双子を見事に演じきった唯月ふうか。この人がきっちり演じたからこそ成り立つ芝居だったし、早変わりも含めて敢闘賞をあげたい。
前回も同役だったが、いっぱいいっぱいだった前回と比べて、華も増し余裕も出て立派なヒロインになった。この4年間で様々な経験をしてより大きな役者になったよね。ちょっとはすっぱなジュリエットも可愛かったわ。
きじるしの王次の大貫勇輔。前回の健ちゃんはやんちゃ坊主的な王次だったが、大貫くんだとその容姿からくるノーブルさで、汚い言葉を吐いても何となく品がいい。とにかく踊れるのでダンスが質量ともに増えていて、ちょっとバレエっぽい振りもあった。ハムレットもロミオも嵌まってはいたが、ガタイが良いのでどうしても王次が18歳には見えない。(笑)
鰤の十兵衛の中村梅雀がちょっとコケティッシュで可愛かったし、お婆役の梅沢昌代がさすがの巧さで、その他の役も適材適所で皆嵌まり役。
特に気に入ったのが長女お文の瀬奈じゅん。さすが宝塚のトップスターだっただけあって、その圧しの強い存在感が抜群に良い。惚れなおしました。
次女のお里役土屋ケイトとのお互いを憎み合う歌が怖くて怖くて、背筋がぶるっ。女は強くて恐いなぁ(そういう私も女だが)
そしてこの人の存在抜きでこの作品は語れない、隊長役の木場勝巳。語り部役も担っているので絡みが無くても舞台上に居る事が多いのだが、台詞が一言もなくただ立っているだけで圧倒的な存在感を放つ人。凄いなぁ。。
井上ひさしがこの作品を創作したのは50年前。当時の世相がどうだったのかはまだ生まれていないのでよくは知らないのだが(はい嘘です)第一次オイルショックの影響で有名企業も倒産して、インフレのための狂乱物価で国民は右往左往していた時期らしい。そういえば親と一緒にトイレットペーパーの争奪戦に加わった覚えもある。w
TVでは必殺仕事人が悪い奴らを成敗していたし、Gメン75達が悪い組織をぶっ潰していた。なにかそういった鬱屈している空気がこの時代にはあったのかも知れない。それが創作の原動力になったのかどうかはわからないが、そういった時代の風も天才井上ひさしの触覚にビンビンと響いていたことだろう。
それにしても、その時代のコンプライアンスは今と雲泥の差があって、この舞台、下ネタ爆発で遊女がわらわらと出て肢体をくねらせるし、そのものズバリの行為シーンもあるし、なんなら凌辱シーンまである。現在ではとても板には乗せれない内容だと思うのだが、50年前は問題にならなかったのだろうか?
まさに「不適切にもほどがある」の世界で、これには拒否反応が出る人も少なからずはいるだろう。私個人はもはや枯れ木なので無問題だが、やはりこれはR15案件と言えよう。(笑)
作曲は宮川彬良。パンフに載っている言葉をお借りすれば「井上ひさしが止まらない」。戯曲を読んでいるだけで台詞が音楽になってしまうのだそうだ。
シェイクスピアの台詞は韻を踏んで音楽的とよく聞くが、遠く離れた日本でも似たような作風の作家がいて、それに反応する音楽家もまたいるのである。
色々なジャンルの曲調を自由自在に操って、どれも個性的な音楽だが全部劇中歌として立派に成立している。
演出は新進気鋭の藤田俊太郎。国内の賞レースの演出家部門を総ざらいしている若手演出家。私はそれほど観ている訳ではないが、とにかく彼が創る舞台は抜群に面白い。特にアンサンブルの使い方がめっちゃ上手。
それぞれが全く別の動きをしていても散漫にならず、全体として見事に調和している。それぞれの人生がちゃんと浮かび上がってくるので、あちこち観たくて目が足らない。個々の力を十分に引き出しているから、皆が同じ方向を見た時にはもの凄いエネルギーになる。
私はもちろん舞台を観るのが好きなのだが、その創りあげる過程というのにも大変興味がある。一度稽古場にお邪魔して演出の様子とかをみてみたいなぁ。掃除係に扮してクコールのように箒で掃きながら、横目で見てるとか。(笑)
そういえば老婆の団体が大きな鉄鍋で怪しげなものを煮ているのだが、パンフを見ると、それぞれ佐原の老婆とか川越の老婆とか出身地が書いてある。なんとただの老婆の団体ではなくて、関東近縁地域の代表選手だったのだ。
中に甲府の老婆というのもあって、ハタと手を叩いた。これなら出来るではないか!だって私、リアルそのまんまよ。(笑)
全編を通して憎み合い、騙し合い、殺し合い、純愛もあるけれど悲劇でおわる。出演者ほぼ全員が死んでしまうという救いのない物語であり、人間のドロドロした部分に焦点を当て、その罪深さを炙り出してみせた。
主人公の三世次も言葉という武器を使って思い通りに上りつめたが、自身の醜さによって滅んで行く。
人の世は、ドスや拳銃がなくたって「言葉」で相手を追い詰め死に追いやることも出来る。それは今も昔も変わらない。言葉という自身が生み出した便利ツールで己の首を絞めるのも、人間という生物の愚かさである。
悲惨な内容なのに笑いどころも多々あるせいか観終わった後もどんよりせず、あー面白かったぁで劇場を後に出来るのは、井上ひさしの天才たる由縁だろう。
出演者の一人、私と同じ甲府出身の山野靖博さんがご自身のブログで「天保水滸伝を縦糸にシェイクスピアを横糸にして織り上げた大風呂敷」と書いておられて、まさしくその通りだと思った。
老婆たちが煮ていた大鍋に、歌舞伎やら講談やら新劇やら人形浄瑠璃やら、ロックやらポップスやら演歌やらボサノバやら全てぶち込んで、お笑いという砂糖もたっぷりまぶしてグツグツ煮て、それをこの大風呂敷できっちり包んで、夜空にドッカーーンと打ち上げて、上空でパッカーーンと割れて、何故かキラキラしたものが客席に降り注ぐ、そんな感じ。我ながら大した想像力。(笑)
また今回も長くなりました。お付き合いして下さる奇特な方々、いつもありがとうございます。では最後に一首。
「くろがねの 鍋にのこりし惚れぐすり せめてひとくち、舐めさせてけれ」
お後がよろしいようで。(笑)