⭐️観劇日記4⭐️

【 ビリー・エリオット 】

前にも書いた気がするが、この日記をスムーズに書くためには、あの日あの時のあの50㎝四方の空間にワープ出来るかどうかにかかっている。

最近かなり忘れっぽくなっているので時間が経つとどうにも難しい。でも今回私はある種の使命感を持って書こうとしている。

誰のため?もちろん自分自身のため。

いざ戻ろう、ビリーのいる世界へ。

 

私がこの作品を観たのは7年前の日本初演。鳴り物入りで発表されたこの作品を早く観たくてウズウズしていた。

2005年のウエストエンド初演で、翌年のローレンス・オリビエ賞を史上最年少当時13歳の少年3人が同時受賞した。これがどれほど世界のエンタメ界を驚かせたか。人生を賭けて演劇の道を求める数多の役者たちがどれほど望んでも届かない場所。そこにまだあどけない顔をした少年たちが立ったのだ。

 

その後この作品は世界中を席巻して、2007年のブロードウェイの公演はその年のトニー賞10部門を総ナメ。やはりあどけない顔をした少年たちがにこやかな笑顔でトロフィーを手にした。これはまさに奇跡と言っていいほどのセンセーショナルな出来事だった。

その作品が2017年、1年間のオーディションとお稽古を積みいよいよ日本でも上演されると聞き、私の小さい胸は少女のようにときめいた。(笑)そしてやっと手に入れた1枚のチケットは、私の目から雨のように水を降らせる事になる。

 

なんであんなに泣けたのか当時はよくわからなかった。とにかく泣き過ぎて脱水にでもなったのか太陽が真っ白に見えて、ふらつく足で赤坂サカスの坂を降りそのまま地下鉄の階段に吸い込まれた、その後の記憶は全くない。

その3年後に再演はされたのだが、丁度私は骨折で入院中、押さえていた1枚も結局コロナで中止になってしまった。なので私的には、まさに7年待った最愛の恋人との再会のようなものなのである。

 

毎度前置きが長くて申し訳ない。

いつものようにネタバレ満載になりますので、気になる方はここでUターンして下さいませ。

 

時は1980年代イングランド北部のイージントン。少年ビリーは幼い時に母を失くし、軽い認知症の祖母と炭鉱夫の父と兄との4人暮らし。街の産業は炭鉱業で成り立ち、そのコミュニティの中で子供たちも生まれ育ち、やがては親の歩いた道を歩くのが当時の一般的な人生だった。

 

炭鉱夫達は苛酷な環境の中での重労働に従事しており、たびたびストライキ起こして勝利を勝ち取ってきた歴史もあったが、1979年に首相に選出されたマーガレット・サッチャーの登場で、潮目が全く変わってゆく。

そう、クリスマスパーティの日に舞台に現れた、あの巨大な風船の人である。

一見優しそうで上品なオバサマに見えるが、どうしてどうして、その保守的で強硬な政治姿勢で「鉄の女」と呼ばれた、イギリス初の女性首相である。

 

サッチャーは、国家による福祉・公共サービスを縮小して市場原理主義にもとずく新自由主義経済を掲げ、国有企業の民営化や規制緩和を断行した。

つまりどういう事かと言うと、弱いものは切り捨て強いものだけを残しイギリス経済の立て直しをしようという事だ。

彼女は就任当時から労働組合を敵視し、ストライキの戦術を違法化する法整備を進め、組合潰しの謂わばスパイを送り込み、うちから崩壊をさせようと試みる。ストライキ中の労働組合を「内なる敵」と呼び物議を醸した事もあった。

 

1984年、サッチャーは採算の取れない20の炭鉱を閉鎖し、2万人の合理化計画を発表。これに対抗した炭鉱労働者の大規模なストライキが全国規模で始まる。この物語の背景には、こうした凄まじい現実があり、父と兄とその仲間たちは、命と暮らしと職業人としてのプライドをかけた命がけの闘いの最中だったのだ。

そこを押さえておかないと、この物語の真の価値は理解出来ないように思う。

 

少年ビリーは11歳。どこにでもいる普通の少年で、逞しく育って欲しいという父の願いで親友マイケルと共にボクシング教室に通っている。が、あまり気が乗らない。

ある日ちょっとした偶然で、ミセス・ウイルキンソン先生が指導するバレエ教室のレッスンに巻き込まれる事になる。いち早くその才能に気づいたウイルキンソンはぶっきらぼうではあるが、ビリーにまた来るようにと誘う。

バレエなんてという気持ちとは裏腹に、不思議に踊ることに心が浮き立つビリー。元々ボクシングに前向きになれなかった気持ちも手伝って、父から貰っていた50ペンスをバレエのためにこっそり使い始めて、どんどんバレエの魅力に夢中になってゆく。

 

ここで『Solidarity(団結)』という、いよいよ熱を帯びてきた労働者と警察官(政府)との闘いと、ウィルキンソン先生の指導を受けるビリーと少女たちが混沌と混ざりあう12分のビッグナンバーがある。

追い詰められてゆく労働者たちと、どんどんバレエが上手になって成長してゆくビリーとが、舞台上で同時進行しながら描かれる。この一見楽しそうなナンバーこそが、この物語の明と暗の軸になっている。

 

ある日とうとうボクシングをさぼってバレエを習っていることが父ジャッキーにバレてしまう。烈火の如く激怒する父。彼の言葉を借りて言えば「オカマのように跳ね回るために〇〇タマ縮む思いで50ペンスを渡してるんじゃねぇ!」だ。(笑)

まぁ無理もない。スト決行中は給料も入らない。ボケ始めたお祖母ちゃんが3日前のパイを探すほどに食べる事にも困っている状況である。

ビリーは懸命にバレエを好きだと訴えるが、頭に血が上った父親には届かない。

 

一方ウィルキンソン先生はビリーの才能に惚れこみ、ロイヤル・バレエ・スクールのオーデションを受ける事を薦め、密かにピアノ伴奏のブレイスウェイトと共にビリーの特別レッスンを続けていた。

オーディションに向かう朝、兄トニーが警官隊と衝突して大怪我を追って帰ってくる。ビリーは外出を禁止され先生との待ち合わせに行けなくなる。心配した先生が訪ねてくるが父も兄もそれどころではない。

怒鳴り散らす父親に呆れ果てる先生。そこに警官たちが雪崩込み皆ちりじりに逃げてゆく。残されたビリーはどうにもならない怒りをダンスで表現する。

たった一人でタップをメインに踊り狂うビリー。その凄まじい怒りを込めた渾身のダンスは観客の心を鷲掴みにして1幕の幕が降りる。

 

初演を観た時は衝撃が大きすぎて、本当に倒れたのかと思った。これで2幕が上がるのか?とマジで心配したくらいである。

2度目だとストーリーも構成もある程度わかっているので、そこは心配しなくてよかったが、全編を通してほぼ出ずっぱりで歌ったり踊ったりするこの役は、12~13歳の少年たちには余りにもハード過ぎる舞台である。

 

ここで愛すべきキャストの皆様全員を語りたいくらいだが、厳選して4名だけを熱く語ろうと思う。

 

まずはジャッキ-父ちゃん。今回で2回目の益岡徹。ビリーを愛するあまりにその要求を突っぱねるが、ビリーが一人踊る(舞台では成長したビリー(厚地康雄)と白鳥の湖のバ・ド・ドゥを踊る)姿を見て、息子の才能に気づく。悩んだ末にウィルキンソンを訪ね、ビリーの才能とオーディションの話を聞く。バレエ学校には多大な費用がかかる事を知った父ちゃんは、ある重大な決心をする。。

 

もう益岡パパは抜群に良い!頑固で真面目で不器用だが、持てる愛情を全て子供たちに注いできた。妻亡きあとまだ幼いビリーを懸命に育て、炭鉱の仲間たちと共に自分たちの尊厳を守るために必死に闘ってきた。セリフがない時でもそこに立っているだけで、父ちゃんの全身から慈愛を感じる。

 

ウィルキンソン先生の濱田めぐみ。何やらしてもめぐさんは上手だけれど、自然体でウィルキンソン先生そのもの。バレエを愛して頑張ってきたけれど、何があったかは知らないが、こんな場末の炭鉱町の公民館で子供たちにバレエを教える立場になってしまっている。どうやら夫は飲んだくれで私生活も荒れている感じだし、50ペンス!と差し出す手はとてもクールだ。

でもビリーを見つけた。ビリーの才能と夢に自分の夢を重ねることが出来た。

終幕でオデットの白いチュチュを着て踊る先生に、なりたかっただろう姿を見て涙がこぼれた。

 

ビリーの友人マイケル(高橋維束)

正直それほど重要な役ではないと思っていたが、1幕でバレエの件でビリーが相談に行った時に二人で歌い踊る軽快なタップのナンバーがあり、これが抜群の可愛い。母親の服を着て化粧をして「ダンスが踊りたければ踊ればいい 好きなことを自由に表現することの何が悪いのさ」と屈託なく笑って踊る少年たち。この場面は一抹の清涼剤のようなシーンだが、このマイケルの存在がビリーにとっては大きな支えになっている。

 

ラストで「またな」といって笑顔で別れる少年たち。

初演では後方の席だったから駆け抜けてゆくビリーの姿を追ったが、今回は前方の席だったので(実質2列目)、自転車をひきながら一人舞台に残るマイケルの顔を見ていた。未来に向かって駆けてゆく友を笑顔で見送ろうと、それでも溢れ出る借別の情を必死でこらえている表情にやられた。

なんという子供たちなのだろう。

オバサン(私)の感情は絞り過ぎた雑巾のようだった。(もう泣き尽くした)

 

主演ビリー、今回は井上宇一郎くん。

今までで一番背が高いビリーかな?14歳という事でもうそろそろ変声期でちょっと苦しくなる瀬戸際かもしれない。でも芝居もダンスもとってもお上手。

 

今回のビリー役の応募総数1375人。書類審査で残ったのが215名、約1年間に渡る、バレエ、演技、タップ、器械体操、歌唱のお稽古をしながら、2次3次とオーディションで振り落とされ、最終的にビリー4名、マイケル4名が選出された。

週5回、毎日3時間のレッスンに加えて週末も自主練に励み、自らの夢に向かって限界を超えてゆく少年たち。ビリー4名は皆バレエ出身者らしいので、そこは何とかなっただろうが、生まれて初めてセリフを言う子も、歌が苦手な子もいて、それぞれの弱点を稽古を重ねて乗り越えてゆく。

 

某サイトで「一番辛かったことは何か?」という質問があり、皆異口同音に「オーデションが進むに連れて友達になった子と別れてゆくこと」と答えていた。どれほど厳しい稽古も辛くはなく、共に頑張ってきた仲間達との別れが一番辛かったと。

なんとまっとうであることか。励まし合って共に全力で競い合ってきたからこその感情であり、人間としてあるべき姿を彼らはその経験の中で培ってきたのだ。

 

作品の性質上、彼らにとっても人生一度きりのビッグチャンスだ。死に物狂いで努力したその経験は、自身の人生においてあらゆる原動力の基盤となることだろう。彼らは演じているのではない。もうそのまんまビリーなのだ。

どうか最後まで、かけがえのないビリーの世界を楽しんで生き抜いて欲しい。

 

ビリーの懸命な努力を傍らで見てきた大人たちも影響されない訳がない。大人キャストも熱かった。完璧だった。そこに居るべきして居る人達だった。

自分らしく精一杯生きていれば誰もが表現者になれるという作品の肯定的なメッセージが、全ての役者たちから伝わってきた。

 

祖父とのダンスを懐かしむ祖母も、息子のために仲間を裏切りスト破りをした父親も、仲間と家族の絆のために必死に父を止めようとする兄も、「心のままに生きて」と書き遺した母も、若い才能の未来を思ってわざとビリーを突き放そうとするウィルキンソン先生も、戦いに敗れ暗い炭鉱へと戻ってゆく炭鉱夫達も、みんなみんな愛おしく尊い。

 

余談ではあるが、このストは労働者側の完敗で終結する。炭鉱は次々に閉鎖され、別の産業が招かれることも無く、町は廃れ、犯罪が蔓延し、あれほど固い結束を誇った炭鉱夫たちもチリジリに散ってゆく。彼らの未来は決して明るくはない。

 

この物語は一人の少年が夢を掴むだけの物語ではない。この時代の暗黒を映した骨太の社会派ドラマでもある。この底辺の人々と光を掴むビリーとの対比の妙が、この作品の肝であり、どうしようもなく私を泣かせる要因でもある。

闇が深ければ深いほど、星はより明るく輝くのである。

 

オーデションに行くことになってもロンドンまでのバス代もない。

途方にくれる親子に炭鉱夫や町の人々が一人また一人と小銭をカンパしてくれる。ボクシングコーチのジョージもポケットの中の折りたたんだお札を伸ばして入れてくれる。マイケルもニヤッと笑ってコインを入れて、炭鉱夫たちもポケットをまさぐりながら、照れくさそうにカンパを入れてゆく。

「ロンドンに行ける!」と素直に喜ぶビリーと、傍らで震えながら立っているジャッキー父ちゃん。そして皆の夢を乗せて舞台はロンドンのオーデションへ。

 

ここでビリーが歌い踊る『ERECTRICITY』がこの作品の中でも私の一番のお気に入りだが、どんな曲かはぜひ劇場で体験して欲しい。

因みに女性の審査員の声は、この公演のサポーターである綾瀬はるかさん。

あまりここで話題には登っていないのが不思議。

 

最初に書いたが、私はこの長いレポを自分のために書いている。ホリプロがこの莫大な費用と時間がかかる作品を上演したのは、大きな賭けであり初演の人気はそれを肯定してきた。(再演は中止になってしまったが)

ところが今回は何故か余り客入りが良くないと聞く。それだと何年後かの再々々演はないかも知れない。それは困るのだ。再びビリーに会いたいという私の老後の楽しみが無くなってしまうではないか!

 

皆様、この作品は老いも若きも全ての年代に夢と勇気と生きる力を与えてくれます。私が保障致します。(あなたに保障されても~)

さぁ出かけましょう!劇場に。