観劇日記9
【エリザベート】その②
お待たせしました。(待ってなかったらどうしよう)
後半は歴史を踏まえての超大作です。(ただ長いだけ)
では、今回のキャストの感想と考察をいくつか述べます。
まずはトート閣下。残念ながら今回はゆん(古川雄大)トートだけ見逃したので他の二人について。
育くん(山崎育三郎)は歌も芝居もとてもいい。配信で観たので細かな表情とかもよくわかったし、やりたいことはわかった。ただ彼は感情がより人間寄り。好みの問題だけど、私はもっと無機質な方が好き。
もう一人の芳雄トート。実力は折り紙付きだが、前回までのトートはやはりどことなく中途半端で役としてのインパクトが薄かった気がする。だが今回は違った。
ただ単にカッコイイのではなく、眼光鋭くふわっとした動きや冷ややかな口元が、人外の存在だということを納得させてくれる役作りだった。元からずば抜けた歌唱力があるのだが、今回はさらに豊かな響きを纏って、やはりこの人はミュー世界の帝王なのだと改めて認識した次第。ばけばけ風に言うと「大磐石」ね。(わかるかな~)
エリザの二人、同期生どうしで励ましあって役と向き合ったのが微笑ましく、どちらも十分に魅力的なタイトルロールだった。二人とも持ち味が違うので、やはり同じ脚本でも全然印象の違うエリザになった。
一幕は想像していた通りみりおちゃん(明日海りお)の方が少女らしくて可愛かった、でもだいもん(望海風斗)の「私だけに」はもう感涙ものだった。歌唱力では歴代最高だと思う。
二人とも次回もキャスティングされるだろうから、また励ましあって精進していって欲しい。(偉そうにスンマセン)
続投で安心安定のフランツ二人。23歳から68歳までを2時間半くらいで演じ分けなければならない結構な難役なのだが、二人とも丁寧に時を重ねて、役の生きざまが十分に感じられる出来栄えだった。
シュガー(佐藤隆紀)は本当に上手になったよね。歌は最初から盤石だったけれど、芝居のぎこちない動きがなんだかとても危なっかしくてハラハラしたのが嘘のようだ。
我が推し(田代万里生)の強みは、首が長く姿勢も良いので無理せずにロイヤル感を出せること、童顔なので現在42歳になったが23歳が相応に見えること。むろん、演技力あってのことだが。
思えばフランツも時代に翻弄された犠牲者かもしれない。
幼いころより母に厳しく帝王学を教え込まれ、10代で国王となりまったく自由のない青春時代を送った。時代の転換期で周囲の国々との軋轢の苦しみ、一目惚れした妻エリザと母ゾフィの不仲に悩み、老いては最愛の息子と政治的に対立し、おまけに先立たれ、息子の代わりに後継者とした甥が暗殺され(サラエボ事件)第1次世界大戦が勃発する。
人々が戦争に倦んできた頃病に倒れ、枯れるように肺炎で亡くなる。享年86歳。
彼が生涯をかけて守り通そうとしたハプスブルク帝国は、そのわずか2年後に390年の歴史を閉じて世界地図から消えることになる。
彼は妻を、家族を、国をとことん愛した。でも報われなかった。夜のボートでいつも涙を流しながら歌う推しの姿をみて、なんと辛い人生だったかと胸が痛くなる。
その息子ルドルフの二人。
一人目中桐聖弥くん。正統派のイケメンで三拍子揃った有望株。何より優れているのは歌唱力で、闇広で芳雄くんに負けていないのは立派。観ていないけれどレミゼのマリウスも評判が良かったみたいだし、今後もミューのオファーはたくさん来ることだろう。素直に伸びていって欲しい。
もう一人のルドルフ伊藤あさひくん。細身でスタイリッシュなイケメン。歌はこれからだけれど、その神経質そうなヒリヒリした感じが役に合ってなかなか良い。
見た目も雰囲気もゆんに似ていて、未知数なれども、うまく育てばゆんのように化けるかもしれない。
ルドルフとエリザ親子については、前回詳しく書いたので割愛しようと思ったけれど、今回初めて読んでくださる人もいらっしゃるかもなので、簡単に振り返ります。(簡単か?)
父親よりもより濃く母親の遺伝子を受け継いだ皇太子ルドルフ。
厳しい祖母の下で帝王教育を受け、父親は政務に忙しく、母親は旅に出たきり戻らない。自由への希求を抱きながら、牢獄のような宮廷で孤独に育つ。
このミュージカルではひ弱な青年として描かれるが、実際はそうではない。オーストリーを取り巻く厳しい社会情勢を憂い、父が敷く新絶対主義では国の存続が難しいと考え、自由主義者やユダヤ人とも交流を深め、モーリス・ツェップスの急進的新聞「新ウィーン日報」に帝国を批判する記事を書いた。クレマンソー(後のフランス大統領)の力を借りて、イギリスやフランスで発表した政治論文はヨーロッパ中に波紋を投げかけた。
ドイツの軍国主義やナチスの台頭、国内の虐げられているスラブ人やチェコ人の不満、貴族たちの権力志向、内部分裂で今にも崩れそうなハプスブルクを救おうと、志を同じくする同志たちと連帯して新しい秩序を作ろうと懸命に模索する。
そして、支配ではなく共生を目指した彼の闘いは志半ばで敗れた。
年若い男爵令嬢との心中(マイヤーリンク事件)は、遺書もなく未だにその真相は謎のままだ。純愛物語として映画や舞台にもなったが(うたかたの恋)、陰謀他殺論は今なお消えない。彼がもし生きていれば、その後のヨーロッパの歴史も変わっただろうと歴史学者は言う。
「僕とママは似たものどうしだ」
確かに似ていた。でもその人生が描いた軌跡は明らかに違う。
母エリザベートは領主の娘で貴族ではあるが、バイエルンの田舎でのびのびと育ち自由闊達でお転婆な少女だった。詩を書いたり木登りをしたり、ロマのように外国を旅するのが夢だった。
偶然の出会いからオーストリーの皇后になり、まだ16歳の彼女にはそれがどんな運命を呼び寄せるか理解ができなかった。まるで牢獄のような宮殿で彼女は懸命に闘った。
特に苦しんだのは姑のゾフィ皇太后との確執。厳しい皇后教育を強いられ、生まれた子供たちまで有無を言わさず奪われた。でも彼女は気づいた、闘う方法があると。
ハンガリーは騎馬民族の国で、その魂は自由で素朴な気質だった。格式ばった窮屈なウィーンの宮廷とは違うこの国をエリザベートが気に入ったのも無理はない。
ハンガリーは度々自由を求めてハプスブルクからの独立を闘ってきたが、大国の前の小国、叶うものではなかった。
そこに三色旗を着て見事なマジャール語(ハンガリー公用語)を話す美しい皇后が現れ、人々を魅了し、皇帝を説得してハンガリーに自治権を与え独立国と認めさせた。
フランツ・ヨーゼフを共通の君主とするが、外交や軍事、財政を除いては完全な自治権がハンガリーに与えられた。フランツとエリザベートはブタペストで戴冠式を行い、ここに世界史上でも稀なオーストリー・ハンガリー二重帝国が誕生する。
エリザベートは生きがいをみつけ、トートの手を振り払い勝利宣言をする。これを機会に政治や外交に積極的に関与して、彼女なりの理想と改革を押し進めようとするが、そのさなかで自身のフランス病(性病)が発症して、夫の不貞を知ることになる。
絶望した彼女は皇后の義務も母としての責任もすべて放り出し、まるで逃げ回るようにヨーロッパ中を旅した。もっとも、子供たちを義母から取り戻しても養育はすべて人任せで、もっぱら自身の美貌を磨くことに専念し、こっそりスイスの銀行に預けたお金も全部自分のために使った。
旅といっても一人旅ではない。多くの侍女や侍従を引き連れての大所帯で莫大な費用がかかった。その殆どが公費、つまりは国のお金。そしてルドルフ亡き後もそれは続き、旅先で暴徒ルキーニの刃に倒れることになる。
「義務を忘れた者は滅びてしまうのよ」
ゾフィの台詞が意味深に響く。義務に生きたフランツ、義務と自由の狭間に生きたルドルフ、そして自由だけを追い求め、まさに「私だけに」生きたエリザベート。
自由を求める気持ちはわかる。夫の裏切りがショックなのも女性としてわかる。絶望の中で自分に正直になろうとしたのもわかる。だがまだ幼い子供たちを残して放浪の旅に出ることが、たとえ子供のころからの夢だったとはいえ、それが果たして本当の自由だったのか。
老いたフランツとエリザの「夜のボート」で、エリザが歌う〈奇跡を待ったけど起きなかった〉を聞くといつも思う。彼女の望んだ奇跡とはいったいなんだったのだろうと。
最後にエリザとトートとフランツの三角関係について。
フランツがエリザに一目惚れをして、エリザも幼いながらフランツを夫として受け入れた。
エリザは絶世の美少女だったし、フランツも「クリームの乗った苺ムース」と称される程の甘い美男子だったから、お互いの美意識にも適ったのだろう。
そこには男女の愛が確かに存在していて、愛あればこそ夫の不貞が許せなかったのだ。
一方エリザとトートの関係はどうか。
トートは「死」で生身の肉体は持たない存在だが、舞台上では男優が演じていて、少女だったエリザに心奪われて殆どストーカーのように纏わりつく。トートとしては男女の恋愛なのかもしれないが、エリザからトートへの愛は明らかな男女のそれではなく「死」という概念そのものへの愛のような気がする。
少女のころに命を救われ、それ以来影のように自分の傍らに存在して、事あるごとに自分のいる死の世界へ誘うやっかいな存在。ある時は翻弄されある時は否定しある時は懇願して、最後には微笑んでその胸に飛び込んでゆく。
最近の東宝版では、特に芳雄くんに顕著なのだが、終幕ルキーニに刺されたエリザの魂が抱き着いて来た時、トートは一瞬驚いたような顔をする。そして彼女が息絶えた時には、謎の表情で虚空を見つめて、その瞬間にポンっと照明が落ちて物語は終了する。
宝塚版ではヒシと抱き合って天上へと昇って行くのだが、いやトートとしたら望んだ通りになったのだからむしろそれで良いはずなのに、なぜあんな表情をするのか、長い間ずっとこの疑問が心に引っかかっていた。
ここからは全くの私見なので、反対意見は山ほどありましょうがどうぞお許しを。
つらつらと勝手に夢想すると、つまりトートはエリザの深層意識が創り上げた彼女の分身であり、辛い現実と対峙する時に現れ、彼女に逃げ場を与える存在ではなかったか。
でもそれに抗い生きる選択をしたことで、その意味を見つけてきたのではないか。
〈この世で安らげる居場所がない〉似たもの親子は、結局「死」によって居場所を得るしかなかった。いやむしろ「死」こそが、彼女の望んだ究極の自由だったのかもしれない。
だから彼女と死の接吻をした時にトートは知るのだ、彼女が死を受け入れた瞬間に自分の存在も消えるのだと。
<生きるお前に愛されたいんだ>と追いかけた愛は、彼女の死とともにすべてが無に還る。
そして残るのは永遠の静寂
いや~長々と私の妄想にお付き合いくださって誠にありがとうございました。この長い文章を最後までお読みくださったそこの貴方に粗品を進呈したい気分です。(気分だけ)
つまり何が言いたいかというと、トートは性を超越した存在なので、あまり「男」らしいとこの物語の本質が見えにくいのではないかと。もっと言えばトートは「男役」の方がよりその神秘性が増すのではないかと。
なので、唐突ですが、私はだいもん(望海風斗)のトートが観たい!彼女こそトートに相応しい。もしWを組むとしたら性を超越した唯一無二の世界観を持つみやちゃん(美弥るりか)などいかがでしょうか~東宝さん。(はい、無理なことは重々承知しております)
前回(その①)も含め、言いたいことは殆ど書き散らしたように思うので、私もこれで思い残すことなくエリザベートを卒業致します。30年間ワクワクさせてくれて本当にありがとう。
これからも末永く観客の皆様を虜に出来ますように。
あぁそうそう、もし、いえあり得ないとは思いますが万が一、次回の再演時に劇場で私を見かけたら、こう叫んでくださいね。
「嘘つきー!!」と。(笑)